冬至を過ぎ、新たな年を迎え、気持ちは春へと向かっている。
本格的な冬はまだまだこれからというのに、少し可笑しな話かもしれない。
けれども、これから日増しに日照時間が延び、昼が長くなっていくという事実が、
僕たちの生きものとしての本能に直接的に働きかけてくるのだろう。
立春、早春、光の春。
そんな"兆し"を感じさせる言葉が好きだ。
きっと、現状が暗闇であればある程に、誰しもがそんな微かな希望を頼りに今を耐え忍ぶように思う。
厳しくも冷徹な環境こそが"いのち"を内側から磨く。
ふと、そんな風に思うことがある。
北国の凍てつく森で冬を越す生きものたちがいる。
シカやオオカミ、キツネやタヌキ、リスやモモンガといった小動物に、
留鳥といわれる小鳥たちも皆、その身ひとつで厳しい季節を乗り越えていく。
もちろん、冬という困難と試練を前に落命していく者たちも少なからずあるだろう。
であるからこそ、彼らの目に映るものは"春"だけなのだろうとも思う。
実際に彼らの"兆し"を感じ取る能力は鋭い。
タンチョウやキタキツネなどは間もなく恋の季節を迎えるだろうし、
カラ類の明るいさえずりを聞き始めるのも、まだまだ雪深い森の中で、なのだ。
彼らは皆一様に"冬"ではなく、来るべく"春"を常に見据えているようにいつも感じる。
それらの"希望"と自らを信じ切ることこそが、試練を耐え得る唯一の道だということを教えてくれているようにも感じてしまう。
北海道はこれから、氷点下20度、30度という"凍れ"が幾日も続くだろう。
けれども"兆し"は確かに届き始めてもいる。
"夜明け前が一番暗い"
たぶん、この言葉の通りに物事は運んでいく。
僕はそう信じている。