その後の自分 〜自分について⑩〜

絵の仕事を専業にしてから今年で13年ほどが過ぎた。

 

退路を断つ、という言葉があるが、人が何か重大な決心をする時にはそんな瞬間もあるのかもしれない。

 

37歳だったその頃、たぶん僕の体調の状態は一番の底辺にあった頃だろうと思う。

当時生業としていた環境調査の仕事も、絵も、いよいよどちらの仕事も勤まらない状態に陥ってしまっていた。

袋小路、正にそんな状況だったようにも思う。

しかし、何かを決断しなければ“明日”も見えない。

“失うもの”がなくなった時、人はきっと本来の強さを発揮出来るものなのだろう。

僕は絵の道一本に絞る事をようやく自らの中で受け入れた。

 

その一方で、身体の回復は遅々として進まずに、焦燥感だけが日々募っていった。

様々な出来事を通して自らの歩みを俯瞰的に捉えられ始めていたように思うが、

何かを実現していくためにはやはりどうしても“身体”が必要になる。

 

当時の僕の身体には、頭痛、胃痛、首肩の凝りや強度の倦怠感など常になんらかの症状があり、

椅子に座り、机に向かうと15分と仕事を続けていられないことがほぼ日常的だった。

考え抜いた挙げ句、整体用のベッドを購入して、ベッドの上にうつ伏せになりながら描く日々が続いた。

身体の重みをベッドに支えてもらうことにより、どうにか絵を仕上げていくことが可能になった。

 

本当に追い詰められたとするならば、その現状を打破する手段や能力を誰しもが手に入れることが出来るように思える。

この時に思い付いた、いくつかの制作上の“創意工夫”は自分にとっての大変大きな“発明”で、

後々の自分の仕事を大いに手助けしてくれた。

 

無理の利かない身体で、無理をしながら、よくも沈まずに漕ぎ続けられたものと今更ながらに思うことがある。

歩き続けることだけにただ必死だったと思う。

40代を過ぎてようやく復調の気配が感じられるようになった身体は、

その後、今もゆっくりゆっくりと回復への道を辿っているように感じている。

一度壊れた身体を治すというのは非常に困難で、根気の必要な作業なのだと改めて実感させられている。

今日まで常に自らの焦りと“闘い”、

しかしながら、この“焦ることが出来ない身体”からは本当に実にたくさんのことを教えられたと思っている。

苦悩の裏側にはいつも、その後の価値観さえ大きく変え得るヒントが隠されていた。

 

“希望”とは、どんな時にも自らの内に秘められているものではないだろうか。

そして、自らが諦めさえしなければ、それが潰えることはないのだろう。