“なぜその道を選んだのか?”
その自問に誰しもが確かな答えを用意出来るものだろうか。
もっともらしい理由はある、そうしなければならなかった事情もあったように思える。
しかし、それら以外の選択肢はなかったのか、選べなかったのだろうか。
人生というものは気紛れな風のようにいつも不確かなものかもしれない。
気がつくと“絵”という道をいつの間にか歩き始めていた。
何かをやっていきたい、という抑え難い想いの中には3つの選択肢が当時高校生の自分にはあった。
“スキー”、“写真”、“絵”。
前者の2つは、厳然たる壁の前に、或いは自らの限界と共に敢えなく消えていった。
消去法的に残ったのが絵であったようにも思う。
なぜあの時、“A”ではなく“B”を選んだのか。
そこには自らが持ち得ていた“何か”以外のものが深く関与しているとさえ思う。
それを人は運命と呼ぶのだろうか。
最近思うことがある。
大切なのは、何を選んだかではなく、どう歩んだか、なのだと。
好きなことをやるというのは、自分を知る旅に出ること。
自らの内なる小さな呼び声に耳を傾けた時、本当の人生が始まるのではないだろうか。